03/12/2016

東京のあらたな「コモンズ」=共有地を探して

フランシス・フクヤマとその一派の主張によれば「主義」の時代はすでに終わりを迎え、私たちは今ごろ、進歩的民主主義の楽園に暮らしているはずだった。だが、周知の通り、そんなふうには物事は進まない。切り落とした先から、新たな頭部が顔を出す、あの蛇体の神ヒュドラのように猛烈に、「主義」は息を吹き返している。 極論同士が粗雑にぶつかり合う様子を、テレビや携帯電話の画面で目の当たりにしながら、一般市民に何ができるというのか。その一つとして、近年、世界中で見受けられる、コモンズ(共有地)の再発見に希望を見出したい。 コモンズ(共有地)とは、社会のあらゆる人にとって活用可能な共有資源で、それにはインターネットの … 続きを読む 東京のあらたな「コモンズ」=共有地を探して

22/11/2016

不合意を形成するアート、その実験と実証

「芸術は社会のためになにができるだろう?」という問いがイギリスで新労働党政権のもと1990年代後半に公的資金を確保する目的で始まったのだとすれば、日本では2011年の東日本大震災とそれによって引き起こされた福島第一原子力発電所の事故が、その問いを共有する大きな契機となっている。前者が具体的な社会課題への取り組みから、ソーシャリー・エンゲージド・アートの後押しをしたとすると、後者は切実な無力感が、アーティストだけではなく、芸術産業に従事する人々の多くを突き動かし、それまで以上に社会の問題へ目を向けることとなっていった。 実際は、地方の過疎の問題、少子高齢化社会、経済危機、エネルギー問題、非正規雇 … 続きを読む 不合意を形成するアート、その実験と実証