Symposium
14/07/2016

アニュアル・シンポジウム 2016「変容する舞台:民主主義を翻案する」

文/田邊裕子

 

2016年2月16日、東京は港区にあるSHIBAURA HOUSEにて、Scene/Asiaの第1回目のアニュアルイベントが開かれた。タイトルは「変容する舞台:民主主義を翻案する」。冒頭の挨拶では、チーフ・ディレクターである岩城京子が、2015/16年のテーマでもあるタイトル「変容する舞台」について、下記のように語った。

アジアのアートの現在を体系として理解できるプラットフォームの必要性について話し合う中で、キーワードとして浮かんできた「民主主義」という言葉。それは唐突に登場したのではなく、アジア各地での具体的な出来事や問題を挙げるなかで、ボトムアップされてきた。 そこには「民主主義」という輸入概念を、それを構成するさまざまな要素へと細分化し、アジア各地の生活の肌感覚で分かるものとして再解釈しようとする課題意識が込められている。

「変容する舞台」は、英語では、‘transforming scene’と表現する。この言葉には、アジア各地で起こっている無数の小さな変化が、アジア全体の大きな流れを形成していくという、このプロジェクトの眼差しが表れている。革命のような劇的な大変革ではなく、大きな流れのなかの小さな変化を、リ サーチして深めていく。その方法も、学術的にというよりも、フィールドワークとして進めたほうがよいのではないか。

アジアを一つとしてとらえず、さらに大文字の「民主主義」という言葉をただ繰り返す代わりに、それを換言し、分解し、解釈することは、中国のメンバーがこのテーマに参加してい ることの戸惑いへの応答にもなるだろう。大きな「民主主義」に中国を含めることは間違っているかもしれないが、例えば「表現の自由」としての民主主義 であれば、中国においても注目すべき事例は同じように存在するし、このプロジェクトのメンバー同士も対等に話すことができるはずだ。

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<第1部>

第 1部では、2015年秋に行なわれたインドネシア、マレーシアで行なわれたリサーチの報告がなされた。マレーシアにおける芸術活動と民主主義の関係につい ては、同地で政治家、アーティストとして活動するファーミ・ファジルが自身の経歴、経験も踏まえたプレゼンテーションを行なった。

◆インドネシアでのリサーチの報告(岩城京子)

・インドネシア・レポート 第1部 西洋型「デモクラシ」と村落型「ムシャワラ(談合)」の矛盾

・インドネシア・レポート第2部 現在進行形の1965年と「ラキアット(人びと)」の権利

◆マレーシアの現状について(ファミ・ファジール)

マレーシアでは、1957年の独立時からこれまで、同じ党の支配が続いている。選挙があるのは、下院議員、州議会議員のみ。上院や、州の下に属する地方議会 には投票ができない。しかし、2008年の総選挙での与党の大敗は、政治の流れのターニングポイントでもあり、政治に関する芸術作品の傾向の変化をもたらした出来事でもあったという。

かつてのマレーシアでつくられる作品の多くは、過去の政治的事件をテーマとし、その状況を静観するような内省 的なものだった。例えば「ファンタル1947」という、英国の政治の支配に立ち向かったストライキや、1969年の「5月13日事件」と呼ばれる大規模な 民族衝突に言及する作品、また1989年に40人以上の人々が反政府的活動を行ったという理由で逮捕されたことも芸術作品において取り上げられてきた。

しかし、マハティール・モハメッド首相(当時)が、1998年に力で副首相を辞めさせたという出来事から、今にまで続く運動が引き起こされた。ベルセーとい う大集会が2007年から始まり、2008年の総選挙で、与党の獲得議席は、長い間維持してきた3分の2の議席数に初めて及ばず、14の州のうち5つの選 挙で勝利を逃した。この頃から、過去の出来事を取り上げるだけでなく、現在の政治状況に参加するような表現活動が増えていった。警察の向けるホースの水を 最前線で被るダンサーの姿や、ベルセーに合わせて独立広場の占拠を企画する動きは、一向に反応を示さない首相に対する市民の声の高まりと共に進化している と言える。

IMG_7664ファーミ・ファジール

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第 2部では、Scene/Asiaメンバーによる作品紹介のミニプレゼンが行われた。キュレーションで扱う作品の条件は、先に述べたテーマ「変容する舞台: 民主主義を翻案する」に関わるものであること、そして身体を用いた表現行為であること。そこには、芸術的な表現行為と、政治活動との相違を問う意味がある。

◆Scene/Asiaキュレーション・チームのメンバーによる作品紹介

キム・ヘージュ(韓国)

韓国の民主主義は悪化している。2015年におこった反政府デモには13万人を集めたものもある一方、アートの世界では、検閲、とくに自己検閲が問題視され ている。芸術界の外でも中でも民主主義は脅かされており、芸術にいまなにができるかという課題に直面している。以下の作品は、声を失ったひとびとが、その 主権を取り戻すために行われた芸術活動の事例である。

・リム・ミヌーク「ファイヤー・クリフ 2」(2011)
フェスティバル・ボムにおいて上演された、ドキュメンタリー演劇であり、サイトスペシフィックな作品。スパイ容疑をかけられ19年に渡って収監された人物と精神科医の対話、パフォーマーによる逮捕の場面の再現からなる。かつて情報機関があった場所を舞台に、冷戦時代に起こったえん罪事件の犠牲者が日常、語り、尊厳を取り戻すプロセスを通して、現在の政治状況を問う。リム・ミヌークは、イデオロギーの衝突に苦しめられる状況に現在も変化はなく、反共産的なプロパガンダ によって人々の恐怖を増幅し支配しようとする政府の意図は続いているのではないかと訴える。

・オクイン・コレクティブ「ソウル・デカダンス」(2013)
3人のアーティストで構成されるこのグループは、2012年にパク・ジョンクという若い写真家が国家保安法違反で逮捕された際、パク氏を援助し、その過程を作品にした。パク氏はツイッターで、北朝鮮祖国平和統一委員会の公式アカウントのツイートを、皮肉を込めてリツイートしたが、その振る舞いが敵国の有益な情報を広めたとされ起訴されたのだった。判決は、取り調べにおける本人の陳述と一致しないものであったため、オクインコレクティブは、プロのトレーナーを呼んで正しい伝え方をパク氏に訓練させた。結果、2回目の裁判を経て、パク氏は2014年に無罪放免で釈放された。この 作品は、陳述における語りや、語りの扱いと態度の問題を主題とし、パク氏を現実的に助けると同時に、政府のコミュニケーション能力のなさを暴いた。

ジェイソン・ウィー(シンガポール)

シンガポールは、東南アジアのなかでも、新自由主義的な発展を遂げた国。だがその外見の成功とは裏腹に、徹底した管理社会体制が敷かれれており、体制に対して批判的な言論を公共の場において展開することは難しい。また、半世紀にわたる国家主導のもと、多くの人びとは、政府が強いる社会規範や法規範を、普遍的な道徳規範と混同しはじめており、結果的に、自由な表現の発露の機会をみずから摘んでしまっている。さらに、現在の問題は、シンガポール人のみならずシンガポール在住の外国人までもが自己規制を行っていることである。人びとの掲げる政治主張が規範を破るものだとされるとき、法の網をかいくぐりつつ、どのような名目でなら、公共の場でそれら政治異論を唱えることができるのか。

・ピンクドット 集会 http://pinkdot.sg/
2015年7月、チャイナタウン横の公園に28000人の人々が集まり、「家族愛」「自由な愛」というテーマの下にLGBTの権利を訴えた。規範的なキーワード「家族」を全面に用いたこと、公共のルールを守って集会を開いたことが拡散を可能にした。

・ICA(The Institute of Contemporary Arts) “Fault Lines”(断層線)
オーストラリアから移住したディレクターが、作品を展示から撤去するよう指示。実際のわいせつ罪の対象となるのは二つ、印刷物と映像だが、それまでにアートの展示物が撤去された例はなかったし、ICAは教育機関として認定されており、法令の対象とはならない。自己規制の典型的例。

・Becca D’BUS https://www.facebook.com/BeccaDBus

・Loo ZIHAN http://www.loozihan.com/

 

ゴン・ジョジュン(台湾)

2014 年3月に勃発した「ひまわり運動」の後、なにが変わったのか? 2016年1月、台湾では8年ぶりの政権交代が促され、野党・民進党から新総統・蔡英文 (ツァイ・インウェン)が迎えられた。独立志向の民進党は、ひまわり運動を肯定している。しかし政変が起きたからといって、経済的変化まで、もたらされて わけではない。台湾では1980年代以降、12の巨大財閥が、一層、資本力を増し、資本主義に支えられた君主政治 (Capitalist class monarchy)によって国家経済を好き放題に操っている。ひまわり運動によって、これら財閥体制が崩壊したわけではない。 しかしアーティストは、そのような状況下でも、抑制された人びとの声をすくいあげ、世代間交流の仕方を発明できるのではないか。

・ひまわり運動
2014年3月18日、国民党議員が海峡両湾サービス貿易協定について、議論の進まないまま、わずか30秒で決議を宣言。その直後、400人の学生たちが立法院に詰め寄り、24時間後にはその数は1万人に膨らんだ。彼らは立法院を23日ものあいだ占拠した。

・チェン・ジエレン「幸福の建物」(2012)
権力の構造から排除されたのは若い人々。工業地帯にある建物の内装に撮影のため手を加え、若者を招き入れた。彼らは表現を専門とする人々ではなく、社会的弱 者となった者たち。この場所で、1984年という台湾の新自由主義元年以降に生まれたた彼らへのインタビューが行なわれた。

 

シェン・ルイジュン(中国)

1978 年に鄧小平が実施した経済改革方針「改革開放政策」以後、中国では、経済的な成長はあれど、政治状況は変わることがなかった。金権政治がはびこり、経済的 勝者のための思想が作られる。しかしそろそろ中国人も、個人として経済活動に邁進するだけでなく、パブリックな政治意識を持つ必要があるだろう。中国で は、インターネット規制が極めて厳重に行われている。多くの人はフェイスブックやツイッターなどのSNSを中国で見られないことはご存知だろう。出版物も 一ページずつ検閲される。展覧会やマスコミも同様だ。香港や台湾で革命のようなムーヴメントが起こっては消えていく一方で、革命とは別の変革の仕方、オルタナティヴな発信方法を探るにはどうすればよいのだろう。

・フロア#2プレス「夏健強の絵」(2011)
2012年から活動開始した4人のグループ。印刷物を通じてアーティストの声を紹介している。

・ポリット・シアー・フォーム・オフィス「同じ善行をしよう」(2014)

 

ツ−・ファンツゥ (台湾・沖縄拠点、ベトナムについて発表)

現代の課題と過去のトラウマをつなぐ作品は、ベトナムだけでなくアジア全体の地理的な問題、国と国の境界における問題にも関わるものになっている。

・グエン・チン・ティ「無字幕」(2010)
政治的なトピックをアートの美的感覚において扱うことを模索するもの。自分の名前と食べたものをカメラの前で申告するのを長期的に集めたもの。

 

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本シンポジウムにおいて報告されたアジア各地の現状と作品を概観したうえで、あらためて日本の現状を鑑みると、そこでもまた公共空間の私物化、資本主義化という問題が浮かび上がってくる。シンポジウムでは、各国の、それぞれに独立した活動を行う人々が発言、プレゼンテーションを行なったが、そのことが象徴してい るのは、公共空間においては政治的トピックを発言しないほうが良いという見えざる枠組みだ。公共空間の言説が、最大数の需要に応え、商業的な消費を目的に多数派の声を取り上げる。これはまさに少数派の排除の制度といえる。また、アジアにおける検閲については、水平方向、つまり同調圧力(peer censorship)が高まっている点が特徴だろう。この不可視の検閲形態を可視化することも芸術に携わるものの課題となっている。