29/01/2016

インドネシア・レポート 第二部 /
現在進行形の1965年と「ラキアット(人びと)」の権利

状況は、スカルノの退陣でさらに悪化する。1965年9月30日、当時、陸軍大臣兼陸軍参謀長であったスハルトは、軍事クーデターを計画実行し、翌年2月、第二代インドネシア大統領の座に就く。彼は、みずからの政治的立場を安定させるべく、スカルノの支持基盤であったインドネシア共産党員とその同調者とみなされた中華系民族、インテリ層、労働組合メンバーなどをパージしはじめる。このパージには、西側諸国も影で助力したとも言われている。結果スハルトは、1年未満でなんと約100万人にも及ぶ括弧付きの「共産党員」を虐殺する。2016年現在も、犠牲者の遺族たちは、政治中枢で権力の座に就くリーダーたちに怯えて暮らしている。中 … 続きを読む インドネシア・レポート 第二部 /
現在進行形の1965年と「ラキアット(人びと)」の権利